ミルクレープ

元祖と言われた名店が今年の七月末に営業を終了していた。ところが同じ名前の店が関西で同じ商品を扱っている。これは一体どうしたことだろう。そして更に遡れば、元祖を名乗る2店がそれを譲らなかったという不毛の争い。思わず好奇心に駆られ片っ端からググってみた。そして期間限定出店とネット通販に限定している楽天ショップに辿り着き、そこのシェフの経歴に驚いた。以下転載。

1981年から5年間、西村総本店にて調理全般に関して修行し、86年にルエル・ドゥ・ドゥリエールへ入社。およそ3年京都や名古屋など地方での経験を積み、その後、当時絶大な人気を誇っていた東京本店にてゼネラルマネージャー兼シェフとして指揮を執った。95年ルエル・ドゥ・ドゥリエールより独立したペーパームーンに移り、ミルクレープを冷凍食品として初めて全国へ配送するシステムを確立。その他、数々のオリジナルスイーツの開発に携わった。99年からペーパームーン京都にて、和テイストを織り交ぜたスイーツを考案し好評を博した。 また、イタリア料理の腕は一級品。

元祖を名乗る2店で腕を振るい、更に関西の店にも関わっていた。そして元祖を名乗る店同士で、商品名を巡って裁判も起きていた。その判決文、以下転載。
1998年11月4日ケーキ商標登録名の権利乱用事件(東京地裁/決定・仮処分認容)ミルクレープの名を商標登録した洋菓子業製造業者ドゥリエール(港区)が、その名を使った菓子の販売禁止を要求するのは権利の乱用という、同じ業者ピー・エムファクトリー(港区)の申し立てを認め、その要求を禁じる仮処分を決定した。決定の理由は、ミルクレープは極薄のクレープを幾重にも重ね、間にクリームを挟んだケーキで、1980年代以降、日本で普通名称として広く認識されていたとする判断を示したため。ピー・エムファクトリーはドゥリエールから独立した会社で、社員の移籍などをめぐってトラブルが起き、ドゥリエールはピー・エムファクトリーに洋菓子の販売差し止めを求めて訴訟を起こすなど対立を続けていた。差し止め訴訟は97年暮に和解したが、98年1月に特許庁がミルクレープの商標登録を認め、ドゥリエールが全国の洋菓子店にミルクレープの名称を使わないよう求めたので争いが再燃し、今回の申し立てとなった経緯がある。

甘いお菓子を作る人は、決して甘くはないのである。桑原桑原。