イスとりゲーム(仮)

スーパースターと言えども、去る者日々に疎しとは正に至言で、一時の衝撃がどんなに凄まじかろうともいずれ人は忘れていく。そして誰かが取って代わる。華やかな世界は不思議な表面張力で保たれていて、ある一定人数しか止まれない。誰かが溢れると誰かが収まる。誰かがブレイクすると誰かが忘れられる。

パンピーと言えども御多分に漏れず(皆が幸せなど有り得ないから)私も辛酸を舐めている(爆)少々大袈裟かもしれないが、冷や飯を食わされたり剣突を喰らわされたり(笑)最近も伸るか反るかの危ない橋を渡っていた。イイコトは続かないが悪いことも続かないと知っているから、拗ねもせず腐りもせず大人しくやり過ごしてきた。逆に私のトバッチリを受けた人もいるだろうから、騒ぎ立てずにナリを潜めてきた。

伝道者の書3章1節より。
天の下では、何事にも定まった時期があり、
すべての営みには時がある。
生まれるのに時があり、死ぬのに時がある。
植えるのに時があり、
植えた物を引き抜くのに時がある。
殺すのに時があり、いやすのに時がある。
くずすのに時があり、建てるのに時がある。
泣くのに時があり、ほほえむのに時がある。
嘆くのに時があり、踊るのに時がある。
石を投げ捨てるのに時があり、
石を集めるのに時がある。
抱擁するのに時があり、
抱擁をやめるのに時がある。
捜すのに時があり、失うのに時がある。
保つのに時があり、投げ捨てるのに時がある。
引き裂くのに時があり、
縫い合わせるのに時がある。
黙っているのに時があり、話をするのに時がある。
愛するのに時があり、憎むのに時がある。
戦うのに時があり、和睦するのに時がある。

キリスト教信者ではないが、折に触れて思い出す感慨深い一節。久々に全文を読み返したくなり(ググって)転載した。自分のために(笑)